泳ぐのが苦手だった子ども時代
私は子どものころ海の近くで育ったにもかかわらず、泳ぐのが苦手でした。
高校の体育の水泳の時間に、体育の先生が設定した規定の時間をクリアすることが出来ず、居残り練習をしたくらいです。(汗、、、)
クロールで泳ぐわけですが、なかなか先に進まず、体が沈んでしまうのです。そこで体育の先生からちょっと顎を引いて泳ぐように指導を受け、顎を引くように指導を受け、顎を引いて泳いだらなんとスイスイ進むようになったではありませんか!
これで、なんとか規定時間をクリアすることが出来ました。
とはいっても、苦手なことは変わりはなく、泳げなかったのか泳げるようになった程度で、めちゃくちゃ早くなったわけでもないのです。
私が、それからどんなに頑張って練習したとしても、せいぜい25メートルを無難に泳げるようになる程度で、高校総体で活躍できるようにはならないわけです。
だったら、とりあえず泳げるようになったことを良しとして、もっと高い目標を目指すのは時間の無駄というものです。
それよりも。私の得意とするところを伸ばしたほうがいいわけです。
私はそこそこきれいな文字を書くことが出来て、中学生の頃も文字のきれいさ競うコンクールみたいなのがあって、学校代表で選ばれたりしました。
高校生の時は学年の文集みたいなもの作成することになり、当時はパソコンとか普及していなかったので、手書きで作成するわけですが、字が上手な人を学年で2.3人選ぼうってなったときに私は選ばれました。
360名くらい学年で2.3名に選ばれるわけですから、もっと上手に書くということに力を入れるとされに上手になりますね。
職場ではその人の得意なことを伸ばそう
人ってみんな得意なことと不得意なことがあります。
おしゃべりが上手な人もいれば、苦手な人もいる。
文章作成が上手な人もいれば、苦手な人もいる。
営業が得意な人もいれば、苦手な人もいる。
オールマイティにみんながなんでも上手にできればそれに越したことはありませんが、そういうわけにもいかないのが現実です。
前の職場でも、顧問先とのコミュニケーションをとるのが苦手な人がいました。
とても緊張するらしく、相談事に対し思うように説明が上手にできません。
何度指導をしたり、練習したりしても、やっぱり緊張してしまって上手く話しが出来ないのです。
でもその人は、プレゼン資料など資料作成はとても上手でした。
その人にどんなに時間を使って、話すスキルを上げようと思っても、そもそも得意な人と比べると、その人のレベルにまでもっていくのには相当時間がかかりますし、時間をかけたとしても目的が達成できるとは限りません。
そうなれば、その指導や育成に使った時間って回収できないですよね。
おしゃべりが苦手な人におしゃべりが上手になるための育成の時間を費やすより、その人は資料作成や、文章を書くことが上手であれば、そちらをさらに伸ばすように時間を使ったほうがいいわけです。
営業など相手とのコミュニケーションや話すことのスキルが必要な仕事には、それが得意な人が担当すればいい、
おしゃべりは得意だけど、資料の作成は苦手、であれば資料作成が得意な人が作成すればいいわけです。
私は、人前で話すことはどちらかと言えば得意なほうです。
元々、幼稚園の先生をしていて人前で話す機会は多かったですし、コールセンターで仕事したこともありますので、「話す」ということは元々好きですね。
ですから、前の職場でセミナーを開催した時に私は楽しみでワクワクしていましたが、人前で話すのが苦手だった同僚はとても緊張をしていました。
職場の代表が、みんなできるようになったほうがいいから、ということでみんなでそれぞれのパートを分担してセミナーに登壇しました。
でも、セミナーの参加者のことを思えば、話すのが得意で、伝えることが得意な人が話したほうがわかりやすくてよさそうですよね。
組織で仕事をするってそういうことです。それぞれが得意なことを担当して、さらに得意なことを伸ばしていけば組織は強くなります。
何も、みんなが平均的にできるようになる必要は無いと私は思います。
また、苦手なことを無理にできるようにしようとすれば、本人にとっては辛いし、働くことも楽しくは無くなりますよね。
それぞれが、得意なことをさらに伸ばして、苦手なことは得意な人に任せる、そんな仕事の仕方があってもいいのではないでしょうか?